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京都金属工芸協同組合 |
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〒606-8343
京都市左京区岡崎成勝寺町9-1
京都市勧業館内KYOオフィス
TEL(075)761-3460 (月・火・木・金/AM9時〜PM5時30分)
FAX(075)761-3466 |
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ほんの一握りの特権階級のものであった金属が、一般町民階級にまで広がったのも桃山以降。総体的に装飾が豪華になり、金属工芸の産業化・量産化、技術者の分業化もすすみました。
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大名や数寄者たちは、好みの茶釜を作らせるために「釜師」をかかえていました。信長に名越弥七郎、紹鴎に西村道仁、利休に辻与次郎、家康に仕えた名越善正が、京釜師に名を連ねています。桃山期につくられた三条釜座は、茶人や祇園社の庇護もうけて独自に発展しました。千家十職の大西家はいまもつづく釜師のひとつ。
茶釜の特色・見所は、鉄の地肌(鋳肌)の美であるといえます。釜師の性格がそれぞれの釜に現れています。現在、茶道復興とは別にして、芸術的観点から茶釜の伝統的技術・美意識が再認識されています。不可能とされた過去の名品の復刻や、新しい芸術作品としての釜が創意工夫されています。 |
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浄林:霰姥口釜 |
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女性の装いに必要な鏡は、桃山以降爆発的に広がりました。粗悪な量産金工品が出回るのも鏡が最初。それまで青銅・白銅で製作されていた鏡は安価な黄銅製になり、また鋳造法も踏み返し鋳物と呼ばれる量産法に移っていきます。一部、天皇家御用の白銅製円鏡も製作されていますが、やはりこれらには優品が残っています。
江戸期には時々、鏡の縁にも文様を鋳出したり、特注の誂えによる巧妙な文様を鋳造したりと、趣向を凝らす高級品も作られていたようです。
これら鏡は、文様の鋳出し技術を主にして、魔除け・祈願、富の象徴、恋愛成就や生活向上のシンボルとして貴族から庶民にまで愛されてきました。しかし明治期に入り量産のガラス鏡が庶民に広がると、銅鏡製造はあっという間に廃れていきます。現在では、神社にて神宝の一つとしてほんのわずかに使用されるだけの過去のものになりました。 |
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桃山時代以降の仏教の衰退とともに、芸術的に特筆すべきものがありません。ただ、いくつかの良い作品も残っています。辻与次郎作、豊国神社の鉄製燈篭、方広寺の梵鐘などがあります。また第2次世界大戦時に供出に遭い、良い作品の現存が多くありません。祭祀の場所を最高の美をもって飾り立てる荘厳品、とくに寺院の堂内を彫金・象嵌・七宝技術を用いて飾り立てたのが現存しています。また僧侶の持ち物としての金工品は、「柄香炉」「錫杖」「鉄鉢」「水瓶」などがあります。 |
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東山区豊国神社 |
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優れた建築金物が多く残されています。襖(ふすま)の引き手、釘隠しなど。日光東照宮に代表されるように、非常に細密で写実的な作りこみが特徴です。技術者は技巧を競い合い、華やかな金具が多数残されています。 |
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近世〜現在まで作られた、建築金具の数々 |
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後藤家に代表される家彫(いえぼり)、元は家彫の下請けだった技術者が自立した町彫(まちぼり)があります。
わが国の独特の彫金技法が発達したのは、刀装のお陰といっても過言ではありません。鍔(つば:鐔とも書きます)、目貫(めぬき)、縁頭(ふちがしら)、小柄(こづか)などがあります。もともと鍔(つば)専門工とその他の小道具工と別れていた技術者達ですが、後期にはいずれの品も小道具系彫金工の仕事となりました。ほんの小さな部品に、細かな写実的な文様を彫刻・象嵌することが多く、多彩な彫金表現技法が用いられました。比較的平穏な時代の、武家社会の装身具のひとつといえます。
明治期には、廃刀令にしたがい多くの技術者が職を失いましたが、欧米への輸出向け美術品にその技術を生かし活躍した工人もいました。 |
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1100年の歴史を持つ祇園祭ですが、山鉾に豪華な錺金具を装飾したのは幕末の頃。
祭りの中心である神輿を迎える儀式が発展し、現在の山鉾巡行のかたちになった。
町衆が蓄えた経済力をもって新調を繰り返し行い、、とくに彫金のありとあらゆる技法を用いて豪華絢爛に装飾した。 |
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江戸時代になるとようやく、生活的な金工品が多く作られます。筆筒、煙管(きせる)、水注、矢立、置物、鉄瓶など。
活躍したのは、村田整 、四方竜 、四方竜文、四方安之助、その弟子「秦蔵六」。優れた蝋型鋳造を誇りました。
町民階級の生活も華やかになり、身の回りのものに贅を尽くし、粋を凝らし始めます。根付、煙管、煙草入れ、櫛(くし)、簪(かんざし)、室内調度品などがあります。金工技法もさらに進みましたが、当時は芸術性よりも技を凝らした作品が多かったようです。 |
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特権階級に限られていた金工が、時代とともに徐々に一般化していきます。これは世界的に見てどの国々においても言えることですが、ここ日本では特異な進化を遂げました。奈良・平安の貴族社会ではよく使われていた金属製食器が、以降になると激減します。とくに、世界中で使われている金属製の匙(さじ:スプーンの類)が、日本においてはほぼ絶滅します。皿や碗の類にも同様に見ることが出来ます。代わって木製の箸、漆器と陶磁器の使用が盛んになりました。これは、日本における食文化の発展とも密接にかかわりがあるようです。 |
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