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京都金属工芸協同組合 |
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京都市左京区岡崎成勝寺町9-1
京都市勧業館内KYOオフィス
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FAX(075)761-3466 |
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中世に「七宝」と呼んだものは、仏教荘厳における宝石類やガラス、螺鈿などの珠宝の総称でありました。現在呼ぶところの「七宝」は、金属表面にガラス質のエナメル(釉)を用いて彩色を施すものを指しています。江戸期以前は、「ビードロ座」「七宝流し」「七宝瑠璃」などとも呼ばれていました。作品の彩色として、京都では金工技法の一つに挙げています。
平安時代にガラス製造が行われていたことから七宝製作も当時存在した可能性はありますが、室町期に入るまでの七宝に関する資料や文献が全く存在しません。日本独特の文化が形成される室町期になると、文人趣味、唐物趣味がもてはやされた時代でもあり、中国製の七宝器が輸入されるようになりました。これを当時の人々は「七宝瑠璃」と名付けました。日本史に「七宝」が出てくるのはちょうどこの頃といえます。
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桃山期にはいると、都にて日本独自の七宝技術が発展しました。秀吉に仕えた七宝技術者「道仁」「嘉長」などが活躍しました。
江戸期には、七宝技術の発展もめざましく、茶人「小堀遠州」が当時の七宝を愛したことも有名です。当時の桂離宮や修学院離宮、本願寺の建築にも、七宝技術が多数用いられています。また、刀装品にも七宝の施された物が流行しました。しかしながら江戸後期にもなると、七宝は徐々に廃れていきました。
古来数百年かけて独自に発展した伝統七宝(象嵌七宝と呼んでいます)とは別に、江戸末期から明治期にかけてそれまでとは違う新しい七宝が作られるようになりました。趣味人「梶常吉」によって研究・考案された「有線七宝」技法です。明治初頭の東京に、七宝材料を扱ったドイツ商社出資の本格的な七宝工場が出来、日本の七宝技術・七宝材料の発展に大きな影響を与えました。京都では、日本を代表する近代七宝家の一人「並河靖之」や、七宝会社「稲葉七宝」が活躍しました。
七宝技法には多くの種類がありますが、金属素地に釉薬を乗せ焼き付ける技法の総称です。高温の窯に入れ金属面のガラスを溶かし、ゆっくり冷やすことで密着させます。透明な釉薬を用いるほかには、白濁した釉を用いる「泥七宝」もあります。 |
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